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ヤロスラフ・ユーリエヴィチ (ムーロム公) : ミニ英和和英辞書
ヤロスラフ・ユーリエヴィチ (ムーロム公)[こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラフ : [らふ]
  1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ヤロスラフ・ユーリエヴィチ (ムーロム公) : ウィキペディア日本語版
ヤロスラフ・ユーリエヴィチ (ムーロム公)[こう]
ヤロスラフ・ユーリエヴィチ(、? - 1248年以降)は1237年からムーロム公となった人物である。ムーロム公ユーリーの唯一の子にあたる。
==生涯==
1237年バトゥの率いるモンゴルのルーシ侵攻によって父のユーリーが死亡した後〔 332頁〕、ムーロム公国を継いだ。ヤロスラフの統治について特筆すべきことは知られていない。1232年、ムーロム公とリャザン公の軍がモルドヴィン人への遠征に参加しており、詳らかではないものの、ヤロスラフはこの遠征に参加したとみられている。1239年、モンゴル軍はモルドヴィン人の地を征服し、ムーロムにも火をかけた。
1248年に、ヤロスラフは自分の娘をロストフ公ボリス(ru)と結婚させたという記述がある〔Лаврентьевская летопись//Полное собрание русских летописей〕。これ以降、1345年まで、ムーロム公についての言及はない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヤロスラフ・ユーリエヴィチ (ムーロム公)」の詳細全文を読む




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